四国遍路 第23日

平成25年5月30日

朝の勤行前に町を散歩してみる。道端に根本大塔から奥の院への町石を見付けた。道沿いにコンビニでも無いかと探したが全く見かけなかった。今まではコンビニは許されなかったのだそうだ。でも最近ようやく作ることができるようになったとか。

昨日と同様、朝の勤行、精進料理の朝食の後、バスで一の橋まで移動し、歴代の大名家の墓地の並ぶ参道を奥の院へと進む。
これらの墓地(菩提所)は外様大名と譜代大名で大きさが異なり、外様大名家のほうが大きく立派である。関が原合戦の後、徳川方が外様の勢力を削ぐため大きな物を作るよう命じたとか。ここまで巨石を運び上げるには巨額の費用がかかることを承知の上で命じたようだ。

参道を行くと右手に護摩堂や御供所などの建物が並び、正面に小さな御廟橋がかかっている。その正面に灯籠堂が見えるが、この橋から先は撮影禁止になっている。この右手の水向地蔵にお参りした後正面の灯籠堂に参り、今回のプロジェクト最後の読経を行う。ここにこれまで常に携えた金剛杖と菅笠も納めた。そのあと建物の裏手にある大師のご廟所に詣で、御礼参りの目的は終えた。

参道の御廟橋

護摩堂など

灯籠堂遠望

奥の院への参道

この後バスで女人堂に移動。女人禁制であった時には高野七口のすべての口に女人堂があったが、現在残るのはここだけ。
次に徳川家霊台まで歩く。ここは徳川家光が創建した家康と秀忠のための霊屋が二棟並んでいる。

金剛峯寺と云えばかっては高野山全体を指す意味があった。現在、金剛峯寺と呼ばれている寺は豊臣秀吉が母の菩提を弔うために建立し、その後再建されたそれまで青巌寺と呼ばれていたもので、明治2年に改称されたものである。今は独立の形となっているが、高野山全体を総括するとともに高野山真言宗の総本山でもある。この本坊の屋根には天水桶が載っている。本坊以外にも近年多くの建物が建てられている。本坊の柳の間は関白秀次が切腹をした部屋として名高い。境内にある蟠竜庭は新しいが、石庭としては我が国最大のものである。
内部の参拝、見学ののち新別殿でお茶を頂き、短い法話を伺った。

金堂

根本大塔

壇上伽藍

壇上伽藍配置図

金剛峯寺

徳川霊台

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ここからはバスで金剛峯寺に向かう。

女人堂

奥の院への町石

不動堂

御影堂

東塔

西塔

壇上伽藍

空海が最初に高野山を開いて建設したのが壇上伽藍で中心にある根本大塔の周りに沢山の建物がちらばっている。しかし、ここは観光地ではないということか、全体の配置を記した案内図はみかけなかった。代わりに伽藍御供所の資料を張り付けておく。
ここの中心はなんと言っても根本大塔と金堂である。これらには内部に入って参拝した。金堂の前には中門の復元工事が進んでいた。また、丁度西塔の公開の折で内部の拝観ができた。伽藍のいくつかの写真を掲げる。

壇上伽藍堂宇配置図

この後昼食を取り、午後は霊宝館を見て予定のスケジュールはおわる。
ここから関西空港にバスで移動し、関空から羽田に飛んで全行程を終了する。

蟠竜庭

本坊

このあと壇上伽藍に移動する。

金剛峯寺正門