平成24年12月9日
いよいよ四国最後のツアー。例によって羽田に集合、高松に飛んでそこからバスで76番に向う。今回は参加人員36名とこれまでになく大勢の旅となった。しかし飛行機は日曜日の早朝の便とあってがら空きの状態であった。
第76番 金倉寺
こんぞうじと読む
善通寺市金蔵寺町1160
弘法大師の甥の智証大師円珍が生まれた寺。明治時代に善通寺師団長として着任した乃木希典が滞在した。訪ねてきた夫人に会わずに返した逸話がある。境内に乃木将軍妻返しの松がある。
金倉寺はこんぞうじとは読みにくいが地名は何故か金蔵寺である。これなら読める。
78番からは歩いて移動。すぐ前に八十蘇場の清水と云う泉がある。昔、日本武尊がこの地で毒魚にあたった時にこの泉の水を飲んで平癒したとのこと。弘法大師はこの近くで霊感を得て堂宇を建立、妙成就寺と名付けた。その後、保元の乱に敗れて配流された崇徳上皇がここで崩御され、二条天皇が上皇の冥福を祈って崇徳上皇社を建立、寺の名前を天皇寺と改名された。
明治の神仏分離で崇徳上皇社は白峰宮となった。白峰宮と天皇寺は同じ敷地にあり、崇徳上皇の額の鳥居が山門となっている。
坂出市西庄町天皇1713−2
第79番 天皇寺
綾歌郡宇多津町1435
77番から途中で昼食をとりバスで移動。やや高台にあり、境内から瀬戸大橋が良く見える。
白峰宮
大師堂
本堂
白峰宮と天皇寺正面
八十蘇場の清水
山門
本堂
大師堂
乃木将軍妻返し松
第80番 国分寺
潜徳院殿堂
第78番 郷照寺
大師堂
本堂
仁王門
第77番 道隆寺
仲多度郡多度津町北鴨1−3−30
高松市国分寺町国分
79番からはバスで移動。讃岐の国の国分寺である。鎌倉時代に再建の本堂と銅鐘と本尊の千手観音は國の重文である。その銅鐘を一回100円で撞いてもよいので貴重な体験をした。
76番からはバスで移動。この地の長者であった和気道隆が開基、その名に因んで道隆寺と付けた。
多度津・京極藩の京極左馬造は幼少より盲目であったが道隆寺の本尊の薬師如来に祈願して全快し、後医学を学んで御典医となり眼病の達人と云われ、死後、ここの潜徳院殿堂に祀られた。納札に年の数だけ目の字を書き、眼病平癒の祈願をすると効き目があるとか。
重文の銅鐘
大師堂
本堂
今日は当初の予定より一ケ寺多い国分寺まで参拝し、このあと丸亀の海岸にあるオークラホテル丸亀に行って泊まる。
境内参道
仁王門
瀬戸大橋
大師堂
本堂
山門